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【アルコール】飲酒は社会問題でしょうか?


こんにちは、ナルコノン卒業生のアンソニーです。飲酒の絡んだ事件は毎日起きています。飲酒が絡んだ事件で毎日、どこかで誰かが泣いています。もしあなたがお酒を嗜む人ならば、飲酒について考える必要と責任があると考えるのはおかしいでしょうか。今日は社会的な観点からアルコールについて考えることにしましょう。

アルコール=薬物(ドラッグ)

アルコールは「抑制剤」と呼ばれるタイプの薬に分類されます。抑制剤は体や心の働きを鈍らせる作用を持つ薬です。この種の薬物を取ると、ろれつが回らなくなる、動作が不安定になる、知覚が妨げられる、素早く反応できなくなるといった影響が生じます。

抑制剤としてのアルコールが心に与える作用については、物事を理性的に考える能力が低下したり、適切な判断を下せなくなるといった影響があげられます。分類上は抑制剤ですが、アルコールの作用は消費する量によって変わってきます。

多くの場合、人は興奮剤としての作用を期待してアルコールを摂取します。いい気分になるためにビールやワインを「一杯ひっかける」というのが、その典型的な例です。

しかし、身体が処理できる量を超えたアルコールを飲むと、それは抑制剤として作用するようになります。頭が正常に働かなくなり、体の動きをうまく調節したり制御したりすることができなくなるのを感じ始めるでしょう。

アルコールを過剰に摂取すると、さらに深刻な抑制作用が引き起こされます。痛みの感覚のマヒ、中毒反応による嘔吐といった過程を経て、最後は意識を失うか、最悪の場合は中毒症による昏睡状態に陥り、死に至ることもあります。どのような反応が起こるかは、どのくらいの時間でどれだけの量を摂取したかによって決まります。

日本はアルコールに寛容な文化?

アルコール=薬物(ドラッグ)という認識をしている人がこの日本にどのくらいいるでしょうか。日本社会で育った人にとって薬物とは、大麻やコカイン、覚醒剤といった違法ドラッグのことであり、アルコール(お酒)は決して薬物なんかではないと思っている人も多いでしょう。

それも当然のことで、ダメ・ゼッタイなのは大麻を始めとする違法薬物に限った話であり、一方アルコールに関してはテレビCMから地下鉄の広告に至るまで、あらゆるところで奨励されているじゃありませんか。

日本がアルコールに寛容であることは、飲酒に関して個人化・私事化が進んでいないことからも分かります。どういうことかと言えば、例えば喫煙に関しては個人化が進んでいますよね。

吸う人もいれば吸わない人もいる。喫煙者に遠慮して、非喫煙者が一緒にたばこを吸わなければならないなんて考える必要はありません。「私吸いません」と言えば、勧められることはないはずです。たばこを吸うことは個人的な行為だと認められている。

一方でアルコールはそうはいきません。酒はひとりで楽しむこともありますが、多くは集団で飲みますね。後者の場合、単に飲むこと以上の意味、具体的にいうと仲間であることを確認する儀式的な側面があるでしょう。

日本の同調圧力は半端じゃないですから、そういう社会では同じように飲み、同じように酔うことがその場にいる仲間によって期待されています。断れればいいんですが、中には断れない人もいます。なかなか「私飲みません」が言えないんですよね。お酒の場=個人<集団優先であるということを自分でも認めてしまっているから、なかなか酒を断れないという現状があります。

飲酒は社会問題?

飲酒には社会性さえ認められています。飲酒への志向は、酒なしには社会が機能し難いと思われるほど強いです。考えてもみてください。アルコールは歴とした薬物でありながら、政府の酒類供給に関する小売・広告を規制しようという意識は低いです。飲みたくなるような工夫を凝らされた大小あらゆる広告が、街の至るところにあります。それが見えざる社会的な問題だと私個人的には思います。

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参考図書「脱『アルコール依存社会』をめざして-日本のアルコール政策への提言-」

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